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INTERVIEW
インタビュー

島田雅彦が表現する世界

-EPISODE 1 PRINCESS KAGUYA-の脚本を担当する島田雅彦。インタビューでは、小説家・大学教授・作曲家など様々な顔を持つ島田が自身の過去を振り返り、FANTASIAに馳せる思いについて語る。

取材・文:FANTASIA
写真:FANTASIA

―― 島田さんは、ご自分のことを何者だとお考えでしょうか。普段、どの様にご自身のプロフィールを表現されますか?

島田: 何か一つの新製品を開発するときにプロジェクトチームなどが編成されますが、専門の違う、分野の違う人達が呼ばれてチームが形成される。その中で、どういう構成になっているかと一般的に考えると、科学者、基礎科学をやっている人、これを応用するエンジニア、そしてそれを製品化するときのデザイン部分を担当するデザイナー、アーティスト、そしてこれを効果的に販路に乗せるビジネスマン、あと広報関係の広告マンと何人かチームが形成されると思いますけど、そういうチームに入ったことはありませんが、そういう中でいうとアーティストのポジションに自分はいるものと思っております。

―― 過去を振り返って、現在のキャリアに至るまでの原体験になった出来事はありますか?幼少期、学生時代、について教えてください。

島田: 小学校6年ぐらいでしたかね、野山を歩く楽しみに目覚めて、ちょっと遅いんですけど、それで登山とかを始めて、場所は多摩丘陵なんですけどね。初めて雑木林とかを歩くこと、山に登ることの意味というか楽しみっていうのに目覚めましたね。それで、だいたいね、小さいうちは、山道なんていやなんですよ。雑木林なんて蚊に刺されるからいやなんですよ。だからね、強烈な理由が必要なんです。山登りするには、野山を散歩するには。それは多分に文学の目覚めとかに関わってくるんですね。要するに自意識というものを獲得すると、何かほっつき歩くようなね。それがきっかけでしたかね。だから、一人でよく山にこもって、あるいは、多摩川の河原に出かけて行って。用もないのにね。それで、一通り喜怒哀楽を処理する。それがやっぱり目覚めですよね。12歳ぐらいだから、思春期の始まりぐらいじゃないですかね。

―― 学校ではどんな存在でしたか?

島田: 自分では普通に勉強ができる良い子だと思っていましたが、周りはそうは見ていないわけです。自分としては否定しているのですが、アーティストを目指す様なやつは、『変わり者』だと(笑)。

それでも高校の時なんかは、アーティスト志望っていう夢が具体的になりました。

―― 具体的にどんなアーティストをイメージされていましたか?

島田: 小学校高学年ぐらいからですけども、美術が好きで、1920年代30年代ぐらいに盛り上がったシュールレアリズムっていう運動があって、あれを面白がってしまいました。そういう興味が増してきたのと、クラシック音楽のファンになったんですよ。それで、当時はまだレコードが高くてね、貧乏な子はだいたいラジカセ買ってもらって、エアチェックっていうのをするんです。だからFM雑誌っていうのが3誌も出ていた。要するに、2週間の番組表が中心の、そういう雑誌がちゃんと売れていたんですね。それでスケジュールチェックして、クラシックのラジオ番組を録音するんです。それでカセットテープで聞いてたんですね。
でも、時々小遣いが貯まると秋葉原に行って、レコードを大量に仕入れてくると。当時はシンセサイザーが出始めた頃でね、秋葉原行くと、ショールームにあるんです。そういうのを一通りいじっているんです。店の人も30分は放置してくれる。その30分にかけてました。

―― クラシック音楽が好きな一方でシンセサイザーのような新しい音楽もお好きだったということですね。

島田: もちろんクラシック系のピアノとかストリングスとか、オーケストラの曲が多いですけれども。現代音楽の方に興味をもってくると、電子音楽とかも当時ありましたので、それの影響もあって。当時いわゆる表現活動を開始のも高校生ぐらいです。小説みたいなものを書き始めていましたし、あと「青少年の友」というバンドをつくった。でも、編成が変なんです。前衛にピアノ、トランペット、バンジョー、なぜかバンジョーという。打楽器にも使えると思って入れたんです。それで私が自分で楽器作って参加しました。打楽器とか弦楽器、ゴミ捨て場に捨てられてたギターを解体して、そこの竿とか糸巻とかをリサイクルして、弦楽器新しいのを作ったり。ラジカセがあるから、街の具体的な音を拾って来たり、あとレコードプレーヤーの回転数を途中で変えたり、手で止めたり、動かしたりとか何かみたいな。
まだターンテーブルというものがなかったけれども、そういうことをやっていたと。そういうのが楽しくてね。音楽も美術もかじっているんですけど、大学入ったときに美術部入って、オーケストラ入って、普通オーケストラと美術部入る人はいないんですけど、両方入ってて。最終的な出口はやっぱり小説家だと思っておりました。

―― それはもう昔から決めていたということですか。

島田: もう14歳ぐらいのときには小説家だと思っていて。ほぼ私と同い年の指揮者で大野和士という人がいるんですけど、友達なのでよく話すのですけど、彼もだいたい14歳ぐらいに指揮者になると決めたそうですね。アーティストとしては、そのぐらいの年齢でだいたい決めるものみたいですよ。

―― 今回「FANTASIA」の脚本を担当されるわけですが、「FANTASIA」自体に何を感じて、期待をして、ご自身の表現をぶつけようと考えたのですか?個人的には島田さんの作品には社会へのアンチテーゼといったイメージが強く、エンターテインメントにどう昇華されるのかを楽しみにしています。

島田: 一般の公務員とか、会社員とかになられる皆さんは、事務能力に長けていると思うんですね。私もそんな低くないと思っているけど、ただ、アーティストであるということはたぶん事務能力低いんだろうなというのが一般的な見方だと。だから、事務任せられないからアーティストやっていて、そういうことで『変わり者』が多いということもあるんだろうから、そこは公務員とか会社員ができない発想を期待されているっていう、自分に期待されているのはそこだという自負はありますね。
だから、普通の公務員や会社員が発想できることをやっていたら私はいらないわけだから、そういうことはもちろん考えますけども。あと、アンチテーゼっていうのは、最初は型通りっていうやり方がありますよね。前例を踏襲する、官僚が得意ですよね。型通りにやるっていうパターンがある。それから、ちょっとどこか崩す、型崩し、型崩れというのがあって、さらに全体を見直して、もうそういう型にとらわれない型破りっていう展開。この3段階ぐらい、普通のパフォーミングアートにはあるのかなと。歌舞伎みたいな伝統芸は、幼い頃から稽古を積んでまずは型通りに出来るようにする。そういう体のさばきとか、まだ幼い間に徹底的にトレーニングして体幹も鍛えて、型をまずは踏襲する。その後、何代目かを襲名して自分の芸を見せるわけですけれども、一応自分の父や祖父なんかの芸を吸収しながら、自分の芸を磨いていかなければならないというときに、試行錯誤の段階で型をちょっと崩してみる、そこに個性を入れてみるっていうことをやっていくと思いますね。それで、その後、一応芸っていうものを認めてもらえるようになってくると、今度は歌舞伎とは全く違う、あるいは異なるジャンルの人とコラボレーションをやってみたりして、歌舞伎全体を通じて定着している型そのものをぶっ壊して、何かもっと破格なことをやるっていう。歌舞伎でいえばそういう3つのパターンがあるんだろうなと思います。だから、先代の市川猿之助さんとかですね、こないだお亡くなりになった中村勘三郎さんとかですね、彼らも既成の歌舞伎の世界とは違う試みをコラボレーションを通じてやってみたりしてきた。そういう型破りの面白さっていうのがある。それが持ち味でしたね。だから、やる以上はそいうことを狙うっていうのは、アーティストであれば誰もが抱く欲望だと思います。
もう一ついえば、こういう企画はやったことがないんですね。だから、自分が新人になれる舞台・場所っていうのはすごく憧れます。今まではストレートプレイですね、演劇の経験はもちろんありますし、映画も何らかの形で参加してますし、あとオペラも台本書いたり演出したりっていう形で経験がありますけれども、こういうね、1万人以上も一度に集客できるところなんて、野球場とかサッカー場とかね。だから、それだけの数を集めて行われる、こういうイベントですね。最初2千人ぐらいかなと思っていたのですが、だいたい2千人ぐらいというのが私が知っている最も多くの聴衆で、それがオペラの世界ですね。クラシックの世界の一般的な一晩の動員する観客数ですからね。笑

―― 島田さん自身も楽しみにしていただけていたら嬉しいです。

島田: 私が若い頃にはなかった表現・ジャンル、昨今の若手の間で人気ですからね。例えば、ラップなんてのは、私の若い頃には誰もやってないんですよね。あとヒップホップダンスもないですよね。

―― 今回の音楽はダンスミュージックが主体となります。

島田: せいぜいタコ踊りをディスコでやってるぐらいで。そういうニュー・ウェーブっていうか。学生とはここ20年以上、常時18から22ぐらいのが中核になっている大学っていうところに行ってますんでね。教え子がヒップホップダンスのサークルに所属してたり、軽音楽部だったり、色々やってるんでね。そういうのにそんなに縁遠くもないんですね。幸いなことに。

―― 大学の教授をされていると、10代20代ぐらいの人達から強く刺激を受けますか?

島田: それは受けますね。教師っていうのは、一方的に高いところから教える立場ではないんですよ、実は。わりとこう、最近アクティブラーニングとかいうんだけど、双方向的にやった方が面白いですね。だから、なるだけ学生につっこませる。こっちのボケの芸を見せる。それで、ここつっこむところなんだけど誰かつっこんでくれるかな、っていうのを期待しながらやってるっていうところはあるかも。それに人数が少ないゼミ形式だと、学生をいじりながら進めていけるんです。だから、ハラスメントぎりぎりのところでやってるんです。

―― 島田さんが声を荒げるようなことってあるんですか?笑

島田: それはもうないですね。30代の頃は、今よりもうちょっと学生に厳しかったですね。笑

―― 最後に、今後島田さんが目指すところ、展望があればお伺いできればなと思っています。

島田: 本職というか、一番得意なのは小説だと思っていますけれども、小説も本の形で出版するのが、じゃあこれが果たして最終形態なのかどうかっていう。要するに、その小説ベースにして、漫画化されたりアニメ化されたり映画化されたりとかね、っていうような展開も最近あるので。あるいはもうちょっと簡単には朗読したり、ラジオドラマに仕立てたりっていうような展開も近頃はよくあるので、最終形態として何か大きなスペクタクルのようなものになっていくことを想定しながら、最初の発想をしていきたいなと思ってます。

―― 我々(FANTASIA事務局)も、がんばらないといけませんね。士気が上がりますね。

島田: 今回は竹取物語っていうテーマが与えられたので、これは日本で最も古い物語ということで、しかもこれが求愛の物語だっていうことですね。もちろん別世界から来たエイリアンのお姫様が主人公ですけど、その彼女に当時のプレイボーイ達がこぞって求愛する、求婚する物語ですよね。でも、これって文学の原点だと思うんです。なぜかというと、言葉を使って詩を紡ぐという、何かこの思いを気取った表現でアピールするとかね、それに踊りつけるとかね、メロディつけるとかね。そういうようなパフォーマンス、これはある意味自分の子孫を残すことと直結しているんですね。だから、パフォーマンスとか文学は、そういう自分の子孫を残すためにやむにやまれずやっているっていうことで、自分のDNAを残すっていう生物全般の本能と直結しているっていうところがミソなんですよ。

―― そうですよね、そういう意味では原点はいたってシンプルですね。

島田: だから、古代から続いているこの欲望をね、うまく現代の諸ジャンルと噛み合うようになればなとは思いますけどね。

島田: だいたいほら、今も自分で曲作って歌う人、自分で踊りながら歌う人、これが一番モテてるでしょ。

島田: やっぱり傑作っていうのは、一般の素人にも楽しめて、プロもうなるというのを目指すべきなんだよね。モデルとしていいなと思うのは、「坊っちゃん」っていう小説は、あれはもう普通に中学生も楽しんで読めますよね。だけど、よくよく読むとプロ筋も、おっこういう風にしてるわけね、と深読みに堪えるというか、そういう部分があるんですよね。やっぱりそういうのを目指したいですよね。

島田雅彦(しまだ まさひこ)
日本の小説家。法政大学国際文化学部教授。
大学在学中の1983年、『海燕』掲載の『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、芥川龍之介賞の候補となる。1984年、『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞受賞。戯曲活動も行い、『僕は模造人間』、『ドンナ・アンナ』、『未確認尾行物体』と、郊外の新興住宅を舞台にした若年層の生活を、奇抜な語彙を用いつつ軽妙な筆致で描く作風で、新世代の作家として注目を浴びる。
長編『夢使い レンタルチャイルドの新二都物語』(1989年)を完成後、1991年にソビエト、チベット、ケニア、ジャマイカと、世界各地を放浪。1992年、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞を受賞。
2003年には「自らの代表作とすべく書いた」という『無限カノン3部作』(『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』)を完成。『彗星の住人』はその後『Jr.バタフライ』として2004年にオペラ化され、台本を島田自身が担当、三枝成彰が作曲する。『Jr.バタフライ』は2006年にイタリアのトッレ・デル・ラーゴで毎年開催されるプッチーニ・フェスティバルで島田自身の演出で再演された。三枝とは、オペラ『忠臣蔵』やカンタータ『天涯。』、『太鼓について』、NHK全国合唱コンクール高校部門の課題曲「また、あした」などの音楽作品を手がける。
1998年に近畿大学文芸学部助教授に就任、2003年からは法政大学国際文化学部教授。2000年から2007年まで三島由紀夫賞選考委員を務める。
2000年に詩のボクシングに参加、第4回世界ライト級王座決定戦で平田俊子を破り王者となる。翌年の第5回世界ライト級王座決定戦でもサンプラザ中野の挑戦を破り王者を防衛する。
2006年、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞を受賞、2008年、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2010年下半期より芥川賞選考委員となる。2016年、『虚人の星』で毎日出版文化賞受賞。

Wikipediaより抜粋)

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